障害の当事者会で疎外感を感じてしまったこと

「障害の当事者会」というのに参加したことがあります。

 

わたしは20年来の摂食障害と、最近診断がついた発達障害慢性疲労症候群を抱えています。あまり「病気を抱えている」という表現は好きではないのですが、他にうまく伝わる言葉が思いつきません。

病気を発症してからというもの、病院以外の場所に相談先を求めたことは数回しかありませんでした。当事者会の存在は知っていても「自分はそこまで行くほどではない」という気持ちがどこかにあったのか、参加したことなかったのです。

 

病気の状態が悪化して、14年ぶりに仕事が出来ない状態になり初めて「当事者会」というのに興味を持ちました。

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「当事者会」の参加を決めた理由

「当事者会」とは

障害の当事者が集まり、自由に意見を述べたり交流する会。

 

 

「当事者会」には、当事者の家族・周辺の人が参加すると余計なノイズが増えてしまい、自由な意見を言えなくなってしまうため、参加者が限定されていることが多いようです。当事者以外が参加する場合「悩みに対するトーンが違う」「間違った解釈をされる」「不用意な発言で傷つけられることがある」「参加して逆にもやもやなる」などの懸念があるため、抵抗がありました。今回参加したものは「障害手帳を持っているひとに限る」となっていたのと、信頼できるクリニックの先生が進行をされていたので参加を決めました。

 

当事者会の様子

会場である福祉センターの小さな会議室に入ると、お茶やコーヒー・お菓子が用意されていてくつろげる雰囲気となっていました。机は、参加者がお互い見えるように円形に並べられています。ゆるい雰囲気の中、徐々に人が集まりスタート。

一人ひとり、時計回りに自己紹介と・会に参加した理由を話していきます。

中には、障害のある人の中では名前が知られているコミュニティに所属している人もいて、会場からは羨望のまなざしが向けられていました。

 

そのあとは障害者と働くことについての講話があり、最後に質問タイム。

ひとつ疑問を持ったのは、適応に困難を抱えるひとの就労のあり方について先生が述べたことです。

「10万円の収入を得たい時に、必ずしも”一か所から収入を得ないと”と考えなくてもいいのではないか。3万円の仕事を3件して10万円。という考え方もあるのではないか」

 

確かに、それは一理あります。1つの会社での拘束時間が長くなると、うまく適応できなかったり悩みも出てきます。複数の収入手段(就労先)や人間関係があった方がいいというのも1つの考え方でしょう。しかし、障害のある人が複数の仕事を並行して行う体力と精神力があるのかは疑問です。わたしも若い頃(20代)は複数の仕事を掛け持ちして、月の休みは2~3日という状態でした。それは摂食障害過食嘔吐)の費用が大きかったからです。その頃は、月に15万ほどが食に消えていました。

 

けれど、病気を持っていて複数掛け持ち、というのは長く続けられない人が多いのではないでしょうか。私の場合は、29歳の時に倒れて入院しました。自分で自分の体調の限界がわからず、無理をしすぎたのが原因です。1年は仕事が出来ず、体の回復に費やしました。

 

 「複数の就労先」について誰も先生の意見に質問をする人はいなかったので、みんなにとっては特に疑問に思う事ではなかったのかもしれませんが、慢性疲労症候群×40代の私には、複数の雇用先で働くのは無理かもしれないなと感じました。働き方の選択肢としてはありだと思うのですが、複数するとすれば「仕事の形態」を考えた方が良いです。わたしの今の体調だと、デスクワークの3時間は可能そうですが、それ以上は日常生活が困難になります。体調の良い日、時間にブログを書くように30分~1時間の細切れの時間なら使えるのですが、疲労感で起きていられなくなるので連続した労働が難しい。そう考えると、1つの就労先と複数の細切れの時間で得られる内職的なもの、ということになるのでしょうか。

 

当事者会のあと

当事者会が終わったあと、参加者は散り散りに会場を出ていったのですが、ロビーで何人か話をしている人がいました。わたしが当事者会に参加したのは「同じような悩みを持つ人と話をしてみたい」と言う理由があったのですが、同じような悩みの人は残念ながら見つけることができませんでした。さらに言えば、常連さんのような方が多く、すでにコミュニティが出来上がっている感が強く、入っていきにくい雰囲気がありました。仲間同士だけで話す、あの雰囲気です。

一部のひとたちがワイワイしてランチに向かう中、ぽつーんという空気。

うん、ぼっちです。明らかなぼっち。

 

ここでもぼっちか・・・と感じつつ「まあいいか」と近くのお店で大好きなドリアを食べて帰ったのでした。

 

最終的に、当事者会に参加して疎外感だけ感じてしまうという結果に。

次に参加するかと言えば・・・もういいかなという感じです。同じ病気であっても、環境も感じ方も辛さも同じではないし、それを話して救われることはあるかもしれないけど、今はそれ以外の人間関係が欲しい。それを改めて感じた当事者会の参加でした。

ただ、周りに病気のことを話せる人がいない、という場合は当事者会も自分を解放できる場になるのではと思います。わたしにとっては、病気(自分)の解放はもう必要なかっただけで。

 

最近、発達障害に限定しない凸凹カフェ(仮)の話が身近で出ているので、実現してくれたらいいなと思っています。困りごとを抱えているひとが集まれる、助けられる場所というイメージのカフェを作りたい、という活動をしている人たちです。福祉カフェを名乗っていると、なかなか地域にさりげなく存在するって難しいけれど(福祉が前面に押し出されていて)さりげなく存在するカフェのような場所が増えてくれたら、当事者会のようなものも必要なくなるかもしれないですね。

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