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食べるひと
今ではすっかり普通の胃袋となったわたしですが、1年ほど前までは
『食パン1斤』『インスタントラーメン5袋』『ドーナツ10個』『ポテトチップスビッグバッグ2袋』『炭酸1.5リットル』これを一度に食べられる胃袋を持っていました。なぜそんな胃袋だったかと言えば、ギャル曽根のような特殊代謝能力があるわけでもなく、驚異の消化能力でもありません。
そう、いわゆる「摂食障害」です。
摂食障害とは
厚生労働省のページでは、「摂食障害には拒食症と過食症があり、思春期の女性に多い。やせたい、という体形への強いこだわりが発症の引き金となる」という風に記載されていますが、やや古い見解と言えます。
たしかに、体形へのこだわりが強まった結果、摂食障害に繋がった例もありますが、家庭環境、受験、DV、トラウマなどさまざまな要因を抱えた患者もいます。
しかし、わたしが発症した20年前は、上記の厚生労働省のリンクにあるような見解の書籍が多く見られました。そのため、当時の私は、「わたしはこれとは違う。摂食障害ではない」と思っていたのです。
なので、どちらかといえば、様々な社会的心理的影響を原因として考察した、こちらの記事の方が参考になるでしょう。
発症の原因
私の場合は、きっかけは家庭内暴力にあっていたことでした。
暴力と、食事が満足に与えられない環境の中思春期を過ごし、家のヒエラルキーの頂点である人の機嫌を損ねたら、すべて破壊される生活を送っていました。宝物や大切な本、パソコン、楽器、友達のプレゼント、すべて壊されるのです。
その頃よく思っていたのは、「大切なものは、手のひらに乗せられるくらいでいい」ということ。何かを大事に思ったら、いつもすぐに壊されてしまっていたからです。
そういうこともあり、あまり物欲を持たなくなりました。
ただ、初めてのローンを組んだIBMのパソコンが、ローンを残したまま買って一か月で壁に叩きつけられ壊された時は泣いてしまったのを覚えています。
そんな中、体に入れた食べ物だけは、奪われないものだった、というのは少しは関係があるのかもしれません。
もう一つ言えるのは、暴力から逃れられない(と思い込んでいた)自分の肉体的・精神的状況を発露する手段としての病気であったという面です。あまり多くは言えませんが、女性のからだになるのを避けたかったという部分もありました。
相談機関
当時、まだネットは今のように普及をしておらず、病気の情報を調べようにもなかなか思うようにはいきませんでした。LINEもなく、FacebookのようなSNSもなく、あるのは匿名掲示板くらい。相談小町のような相談サイトはありましたが、摂食障害をオープンにしている人は見られませんでした。その頃、エクシーレというドコモのPDAを使用していてネットをしていた私は、ある掲示板にたどり着きます。
そこで、同じような症状の人々の話を知り、自分は初めて病気であると自覚したのです。今で言う、「自助グループ」の役割を果たしていたそのコミュニティに、わたしは随分と救われました。(現在はサービス終了で閉鎖されています)
「JUST」
「NAVA」
どちらも古参のサイトですが、今のように地域に自助グループが根付く以前からある団体です。相談する機関が身近になかったり、周りに相談しづらい事情がある方は、ネットで相談できる場所を見つけてみるのもいいかもしれません。
また、病気の治療には医師との相性も重要なため、事前に口コミを見てみると病院選びに失敗して不要に傷つけられるリスクも減らせます。
全国の摂食障害を診察する病院・クリニック 5868件 口コミ・評判 【病院口コミ検索Caloo・カルー】
さいごに
なかなか人には話しづらい病気のため、一人で悩む人も少なくありません。
生きることに欠かせない「食」に問題を抱えるため、他の嗜癖障害とは異なり完全に断つことはできないのも難しい部分です。周りに病気の現実を知られ、軽蔑されたり汚いと思われたりしないか不安になることもあるでしょう。ただ、それで離れてしまう人は、残念ですが縁がなかったと思った方がいいです。
やみくもに、誰にでもカミングアウトしてしまうことが良いとは言えませんが、信頼できる誰かに相談することで、回復への道が一歩開けるかもしれません。
いい時にそばに居る人はたくさん居ますが、本当につらい時は離れていく人が多いものです。
自分がどんな姿であれ、どんな状況であれ、傍に居てくれる。
それが、あなたにとって本当に大切な人と言えるのではないでしょうか。
摂食障害は、「愛情の病気」とも言われています。
満たされることがないと思っていた飢餓感を満たしてくれるのは、食べ物ではなくて、案外そういうものなのかもしれない、とわたしは感じています。