障害は特別な能力、と言う風潮に疑問を持ってしまうこと

よく、発達障害「特別な能力」を持っていると書いている記事を見かけます。

 

アインシュタイントム・クルーズサヴァン症候群みたいに、一般の人から見ても突出した能力を持っているような例ってほんの一部で、実際、そんな突出した能力で活躍する人は数えるほどではないでしょうか。

 

ほとんどが、突出した能力はなく、障害によって日常生活に困難を抱えている人だと思います。もちろん、自分の中でこれは得意というのはあると思いますが、それが常人が驚くようなものすごい記憶力であったり、ものすごい集中力であったり、ものすごい嗅覚や聴覚であるとは限りません。

 

発達障害過集中をよく指摘されるわたしも、過集中しているからといってそれをすごく覚えていたり作業が早くなるわけでもありません。ただ、周りのことが見えなくなるだけです。

 

それによって周囲から怒られたり、時間の感覚がわからなくなって仕事のコントロールができないという支障は出ても、いいことはひとつもありません。

 

言いたかったのは、発達障害者は特別な能力がないといけないのか、という疑問です。

 

「この人はこんな障害がありますが、みなさんにはないこんな能力があります。だから、優れたところがあるこの人を尊重しましょう

 

みたいな風潮になんだか抵抗があるのです。

 

記憶力がすごいとか、ある特定の仕事だけ早い、とか、生産性に繋がるような能力だけでなく、ただ「人にやさしい」「思いやりがある」「好きなものを大事にする」「うそを言わない」「人を馬鹿にしない」ということじゃだめなんでしょうか。

 

えっ、「やさしい」とか当たり前じゃん、って思われたかもしれませんが、人にやさしいが当たり前に身についているなら、いじめやパワハラモラハラによる自殺、ブラック企業のまん延も食い止められているはずです。

 

障害がある代わりに、特別な能力がないと尊重されないような社会は残念な社会です。

 

社員の能力をどうやったら無駄なく最大限に発揮させるか、みたいな企業リーダー向けの本を読むと、「エンジンの性能をいかに最大限に引き出すか」みたいなマシン的なものを感じて、なんだかなあ・・となります。いかに社員ひとりひとりの特性を理解して、長く一緒に働けるかを考えるのが先だろうと。

そこには、相手を道具としてみるか人として見るかの「まなざし」の差があります。

 

自分の働いている会社のあり方に疑問を持ったり、迷ったりしている人は一度「日本でいちばん大切にしたい会社」って本を読んでみるといいいですよ。

 

 

病気になって、転職を考えた時に読んだ本です。

障害者を雇用していて、働く人を大事にしている中小企業だけを取材して取り上げているこの本を読んで「まだこんな会社が日本にもあったのか」と感動しました。

 

 

話が脱線してしまいましたが、特別な能力がなくポンコツ障害者のわたしもなんとか生きています。

ポンコツでもいいよと言ってくれる人がいるおかげです。(ちなみに、パートナーからは普段「ぽんきち」と呼ばれています。ポンコツだけに。)

 

障害があっても特別じゃない人の方がはるかに多いこの社会で、なんとか生きる道を見つけていきたいと思っています。

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