何故救えなかったのか。最近の幼児の虐待死事件をみて思うこと

連日、幼児の虐待による不幸な事件を目にします。

 

先日の報道は、わたしの地元の自治体が関わっていたため、なんとも言えない気持ちになりました。毎回思うのですが、警察、自治体、児童相談所、これだけ多くのところに虐待を疑う情報があったにも関わらず、最悪の事態になるまで助けることが出来なかった事に「なぜ」と思ってしまいます。

 

昔、今回のニュースで報道されていた自治体に、家族の暴力のことを相談したことがあります。

言われた言葉は「周りに相談しない方がいい。偏見を持たれるから」でした。

 

「親子やパートナーなら対処する施設があるが、それ以外の身内の暴力から保護する施設はない」

 

その当時の私は、身内から毎日木刀で殴られ身体中がアザだらけになっていました。

怪我をして毎日のように出血もしていました。

 

何より、そんな日常から出ていくことができない自分のことが一番許せなかったのです。

当時も摂食障害があり、借金もあったため経済的に厳しく、どんなにつらくても家を出ていくことはできませんでした。

 

10代の頃からの身内の暴力は、近くの駐在所のお巡りさんも出てくるほどひどかったけれど、わたし自身に声をかけてくれる大人はいませんでした。親には、「お前が痛いと泣くから余計殴られるんだ」と言われていました。理由もなく殴られても、泣くことすら許されないのです。

もう、絶望ですよね。

 

「誰かが助けてなんてくれないんだ、自分で我慢するしかないんだ」

そう思っていました。

 

子供にとっては親がすべてです。

その親に守ってもらえなかったら、これほど不幸なことはありません。

 

大人になれば、自分で助けを求めたり、助けてくれる場所を探すことができるようになるけれど、子供は周りが気づいてなんとかしてあげないと、救いを求めることができることすらわからないんです。

 

救われなかった子供たちをみるたびに、助けを求められなかった昔を思い出してなんとも言えない気持ちになります。

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