休職中のリハビリのための行動を「元気に見える。病気はうそなんじゃないか」と言われてしまうこと

病気療養中の方が、体力・気力の回復や職場復帰のために外出したり、行動している姿を見て「遊んでいる」「ほんとは元気なんじゃないのかと言われて悩んでいる、というのをネットの相談記事などで見かけることがあります。

 

労務に関する問題の相談サイトなどでも、人事関係の方からの質問で

 

「休職中の社員がSNSに趣味の写真を投稿して笑顔で写っていた。それを見た別の社員たちが騒いでいるため、本人(休職者)にどのような処分をしたらいいか

 

というような内容の、人事担当者とは思えない質問をしている方を見かけたことがあります。知らない人のこととはいえ趣味の内容からして遊んでいるようには見受けられず、リハビリなんだろうなと受け取れたのですが、回答者の方も「趣味の行動はリハビリのためと理解できる。むしろ対処を考えなければならないのは、騒いでいる社員の病気(メンタルヘルス含む)への理解に対する教育の不足が問題。騒ぐ社員と一緒になって病気をまるで嘘かのように扱う役職者も問題」というような内容の回答をしていました。

 

しかし、ここで問題があります。いくら社員教育をしても机上の学びで知識を得ても「知っている」になるだけです。これが「わかる」になっていないから、前述の質問のような問題がおこります。人は学校や社会で「いじめをしていはいけない」「これは人を傷つけることだ」「こういう発言をするとパワハラだ」という正しい答えは知っていても、その言葉によって傷つく人のを想像できない人が増えてきているような気がします。

 

「想像力は知識より大切だ

知識には限界がある

想像力は世界を包み込む」

出典:アルベルト・アインシュタイン「科学について」

 

「見えている」のはその人の日常に一部に過ぎない

海外に長期旅行に行った、とかであれば体力的な問題もあり疑問を持たれたりすることはあるかもしれませんが、日常生活の中で少しでも体や気持ちを元に戻そうとするのがリハビリです。1~2時間外に出る体力がついたからといって、じゃあ仕事が出来るかといえばそれは別問題です。そのたった1~2時間の外出をしたあと、その人が疲れ果てて1日ないし翌日以降も休まなければ体力が回復しないことは、外に出た時の1場面しか見ていないひとにはわかりません。

 

あまり頻繁にSNSなどに投稿があると、休職中の仕事をフォローしている人からしたら複雑な気持ちになるかもしれませんが、ちょっと想像してみてはもらえないでしょうか。

 

実際、休職中は人との接触が極端に減ります。それは体の問題、気力の問題など様々ですが、SNSが唯一の外界との繋がりになっている場合もあります。

少しづつでも日常生活がふつうに送れるようにリハビリのための行動をしている人に対して、「あの人の病気は嘘だ」「元気そうに見える」とはちょっと短絡的な発想に思えます。

 

最近はすぐ怒る人が増えたような気がします。ひとつの原因として言葉や行動などの「見えているもの」だけにとらわれてその背景を想像する力が弱くなっていること。

その想像力が「思いやり」すなわち相手の気持ちを想像することにも繋がると思うのです。

 

休職中は外出を控えた方がいい。SNSへの投稿も誤解を避けるために控えた方がいい。

 

そう言われがちですが、理由があって会社に認められた休職をしている人は犯罪者ではありません。病気になって日常生活に困難を抱えているからこそ、病院の治療だけでなく、元気になる方法のひとつとして好きなことをするというのは回復の手助けになります。慢性的な体の痛みを抱えている人などは、きつくて外出もおっくうになったりして体力がますます落ちてしまいがちですが、好きなジャズのコンサートには行けるかもしれない。外出する気力も出るかもしれないし、その間は痛みが薄らぐかもしれない。

 

それをまるで犯罪かのように咎められたら、まして病気の苦しみがウソのように言われてしまったら、本当につらいですよね。

 

 もしも外出した姿を見た人から咎められたり、会社で噂をされたりして上司から何か言われても、理由をきちんと話せば大丈夫です。何も悪いことはしていないのですから。

また、自分自身でも「好きなことをする」というのがいけないことのような気がしてしまう人もいると思いますが(わたしがそうでした)、休んでいる間にきちんと回復するための手段だと考えてみましょう。

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