「17歳のカルテ」から40歳のカルテに至るまで

 

「人間は誰でも心の奥底に見えない怪物を飼っている。

普段はそこに蓋をして、見えないようにしているだけだ

 

「17歳のカルテ」という、若かりし頃のウイノナ・ライダーが主演した、精神病棟を舞台にした映画があります。その時の映画の紹介文にこんな文章がありました。

 

1999年公開のこのノンフィクション映画を見たのは、私が摂食障害を発症してまもない頃です。

当時家族には過食嘔吐が薄々バレていたのですが、職場や友人に全く知られることもなく異常な食行動を続ける自分を、自分自身バケモノのように感じていました

職場や友人の前で見せる「普通」に振舞う自分と、とても人には見せられないような「異様」な姿で過食嘔吐をしている自分。

 

それが、この紹介文と重なって、自分自身のことを言われているように感じたのを覚えています。

 

最近見た海外ドラマの「ウエントワース女子刑務所でも同じように感じる場面がありました。

 

 『海外ドラマ・ウエントワース女子刑務所

「ウエントワース女子刑務所」は、普通の主婦ビー・スミスがDV夫の殺害未遂で刑務所に入ることから始まるヒューマン・ドラマです。海外ドラマの動画配信などで、2019年8月現在はシーズン6まで配信されています。

 

刑務所内のドラマって、淡々として退屈なんじゃ・・と思いきや、これが非常にドラマチック。一話40分ほどがあっという間に感じられ、シーズン1の10話まで一気に見てしまいました。というか、オーストラリアのドラマなのですが、刑務所ってこんなに自由なのか?と思ってしまいます。子どもと一緒に刑務所内で暮らしている受刑者まで居ます。

 

『登場人物すべてが「裏の顔」を持つ』

 

受刑者と看守という役柄を演じてますが、看守たち自身も、いつ道を踏み外しても全然おかしくないくらいに全員が危うい。いい人かと思ってたら一瞬先には悪人に、、の連発です。

 

そう、登場人物一人残らず「危うい」のがこのドラマです。

  

登場人物の一人で囚人仲間の世話係、態度も優秀・仲間の信頼も高い温和な「リズ」は、アルコール中毒です。よき母親であることを、夫や義母から期待されるプレッシャーからアルコール依存症に。入所してからアルコールを長く絶っていて、囚人のサポートもしているリズを看守長も信頼していきます。しかし、刑務所内の更生プログラムの効果を測る発表会の場面で「周りが期待している姿と、本来の自分とのギャップ」に耐えられず再び飲酒し、泥酔した姿で下品な言葉を叫びながら登場、周りを失望させます。

 

ここで思ったのが、依存症の「回復の難しさ」です。

 

周りからは治ったように見えている。

けれど、本人の心の中は全然治っていない

 

卵の薄皮が整っただけで、中身はまだ全然もろいのに周囲は期待します。

傷ついた姿から回復していないのに「治った(更生した)」ともてはやします。

当事者は周囲の期待を感じて、それに応えようとします。

でも、それは望んだ姿ではありません。

だからそれが辛くて、「本当の自分」は周りが期待するようになってない、と自分の薄皮(周りの期待する着ぐるみを被った自分)を自分で壊す行為に出ます。

 

それが、アルコールであったり、ギャンブルであったり、摂食障害であったり。

形は違えども、抱えるものは似ている気がします。

 

摂食障害にかかわらず、病気の症状には波があり「3歩進んで4歩下がる」ようなことも多々あります。

 

もしあなたがそんな家族、恋人、友人を見守る立場であった場合、気を付けて欲しいことがあります。それは、その人がどんな姿であってもそれを否定しないということです。

 

食べたら褒める、食べなかったら怒る(困る)ではなく、食べても食べられなくても、みんなと同じようにできなくてもその人を否定しない。実は、「認める」よりも、「否定しない」ということが回復に向けての一歩に一番大切なのではと思います。

 

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